国内旅行先は源泉かけ流しの温泉にきまり

江戸時代における国内旅行

日本の旅の始まりは、平安時代の「熊野詣」が始まりとされていますが、「お伊勢参り」は戦乱の世が落ち着いた江戸時代に入ってから盛んになったようです。五街道を初めとする交通網が発達し、参詣が以前より容易となり、観光の目的も含むようになりました。

当時、庶民の移動、特に農民の移動には厳しい制限がありましたが、伊勢神宮参詣に関してはほとんどが許される風潮でした。子供や奉公人が伊勢神宮参詣の旅をしたいと言い出した場合も、親や主人はこれを止めてはならないとされていたそうです。また、たとえ親や主人に無断でこっそり旅に出ても、伊勢神宮参詣をしてきた証拠のお守りやお札などを持ち帰れば、お咎めは受けないことになっていたと言います。しかし、当時の庶民にとって、伊勢までの旅費は相当な負担でした。そこで生み出されたのが「お伊勢講」という仕組みです。「講」の所属者は定期的に集まってお金を出し合い、それらを積み立てて代表者の旅費としました。誰が代表者になるかはくじ引きで決められる仕組みで、一度当たった者は次回からくじを引く権利を失うため、「講」の所属者全員がいつかは当たるように配慮されていたようです。くじ引きの結果、選ばれた者は「講」の代表者として、道中の安全のために2?3人組で伊勢を目指すのが通常でした。

出発にあたっては盛大な見送りの儀式が行われ、道中の安全が祈願されます。参拝者は道中観光しつつ、伊勢では代参者として皆の事を祈ります。また、当時、最新情報の発信地であったお伊勢さんで知識や技術、流行などを知り見聞を広げるための旅でもありました。土産としてお守りやお札、新品種の農作物の種、松阪や京都の織物などの伊勢近隣や道中の名産品や最新の物産を購入したりしました。伊勢音頭のような音楽や芸能・歌舞なども、こうして各地に広まっていったのです。無事に帰ると、帰還の祝いが行われます。江戸時代の人々が貧しくとも一生に一度は旅行できたのは、この「講」の仕組みによるところが大きいでしょう。伊勢参りは、江戸からは片道15日間、大阪からでも5日間、国内旅行とは思えない日数がかかりました。交通機関は何もないので、東北からも九州からも参宮者は歩いての参拝です。岩手の釜石からは100日かかったと言われています。娯楽などないに等しかったであろう当時の人々にとって、お伊勢参りがどれほどの楽しみであったかを想像するのは難しくありません。

注目記事

おすすめ記事

Copyright (C)2017国内旅行先は源泉かけ流しの温泉にきまり.All rights reserved.